第二の故郷、北杜市で
人生のセカンドステージの幕が開く
Contents
- ピオレドール受賞で、プレイヤーからオーガナイザーへの気持ちが芽生える
- 「ヒマラヤキャンプ」で若者たちへのきっかけづくりを始める
- 商売道具である”足”を『Northwest Superglass®』で守る
- 第二の故郷、北杜市に居を構えて軽やかにキャリアとライフスタイルをチェンジ
- 自分のアクションがほかの人に影響を与える、こんなに楽しいことはない
1. ピオレドール受賞で、プレイヤーからオーガナイザーへの気持ちが芽生える
登山ガイドという仕事と自分の登山、山に明け暮れた30代。後半へと突入した2012年、36歳で6670mのネパールヒマラヤ・キャシャール峰南ピラーを初登攀(とうはん)した功績を讃えられ、翌年13年、登山界のアカデミー賞と言われるピオレドールを受賞。ここで人生の転機が訪れた。
花谷氏「ようやく登山家としてのひとつの結果を残せたという感覚がありましたね。これをきっかけに、多くの企業からスポンサーをしてもらえることになったのです。今までは自分でガイドをしてお金を稼ぎ、その資金で海外の山へ行くというライフスタイルでしたが、そのスタイルと考え方が少しずつ変わり始めたこの頃は、僕の登山人生の転換期だったと思います」
ちなみにピオレドール賞とは、想像をはるかに上回る、誰もがなしえることができなかった未踏のルートに挑み、困難な登攀を成し遂げた偉業が評価されている。そこには高レベルな技術力はもちろんのこと、自分が持てるだけの最小限の装備で臨むことで、冒険の醍醐味や勇敢さが称えられる。花谷氏を含む馬目弘仁さんと青木達哉さんの3人で挑んだキャシャール峰は2000年に解禁され、2003年には西稜から海外勢が初登頂したものの、以後再登はされていないほど登攀が困難と言われる。南ピラーに関しては、二分するかのように屹立した大岩壁で、これまでも各国の登山隊が度重なる挑戦をしてきたものの、いずれもなしえなった難攻不落の遥かなる山だ。こうした偉業を達成した花谷氏はなにを思ったのか。
花谷氏「多くの企業にスポンサーをしてもらうことで、経済的に少し自由を得ることができたので、今までやれなかったことをやってみようと思ったのです。今までは自分の登山がメインで、それを続けるという選択肢ももちろんあったんですけど。僕は僕しかできないことをしようという気持ちが芽生えてきました。そこで思いついたのが、自分の登山ではなく、若者たちがヒマラヤに行くきっかけを作ること。それが2015年から始めたヒマラヤキャンプです。
それからもう一つ、プレイヤーとしての限界を、ある時期から感じていました。登山もクライミングをしてもある程度のところまではできる。でもそこから先、突き抜けることができない自分を、自分自身がいちばんよくわかっていました。こういう場合、追っても仕方がないと思うんです。どんな場合でもそうですが、自分が全力を尽くし、できる限りの努力をしたけれど、どうしても合わない、これ以上のところに辿りつけないと思ったことは闇雲にやり続けない、いつでも少しだけ余力がある状態にしておく、これが僕のやり方です」
花谷氏のやり方には、彼の生き方のすべてが集約されている。合わないと思ったことに無理に自分を合せて消費させない、余力さえあれば別のことへのエネルギーを使うことができる。そういった処世術なのであろう。
2. 「ヒマラヤキャンプ」で
若者たちへのきっかけづくりが始める
2015年から始まったヒマラヤキャンプ。1年かけて国内でトレーニングをして、翌年の春の登頂を目指す。メンバーは5~6名ほど。元山岳部の人もいれば、登山好きな人もいる。メンバーになるためにはいつ、どの時期にどの山に登ったのかなどの山行歴などが重要視される。
花谷氏「登山をする人のあこがれでもあるヒマラヤに行くきっかけをつくりたかったんです。これがヒマラヤキャンプの目的。そういう機会が減りつつある中で、行けば何かを感じることができると思ったから。そこには未踏峰に挑戦するという大きな意味がありました。現代は情報社会です。しかし、未踏峰への挑戦するために情報がないところへ行くことに価値がある。現地で情報を集めて、登山計画の全体像を作っていく、これはとても尊い経験だと思うんです。ヒマラヤに一度登ったからといって素晴らしい登山家になれるわけではありませんが、人生の中でその経験はかけがえのないものになると思うんですよね」
こうした思いに至ったのは、子ども時代に育った神戸で神戸市少年団登山教室に入ったことと、自分自身もヒマラヤに行くきっかけを大学時代の山岳部の先輩方からいただいたこと。それが登山家に原点になったことに遡る。
花谷氏「子ども時代や大学時代の経験への恩返し、というような大それたことは考えていません。でも神戸市少年団登山教室の経験がなければ今の自分はないわけだし、大学時代にヒマラヤに登っていなければ、その偉大さを知ることはなかったと思います。ですから自分の人生の基礎をつくるきっかけになったことは間違いありません。こうしたきっかけをつくることは、登山文化を継承していくうえで大切なことなんだろうな……とこのころから漠然と思うようになりました」
こうした思いに至ったことで、プレイヤーから登山をする若者を応援する立場へと移行していった。
3. 商売道具である”足”を『Northwest Superglass®』で守る
二度目のヒマラヤキャンプを迎えた2016年、登山にかける膨大な時間と労力を危惧して声をかけてくれた人がいるという。それが大学卒業後に出会って以来の付き合いになる弊社の前社長、横澤氏と現社長の杉本氏だ。「これだけ山に登るのなら、足元をもう少し見直したほうがいい」と。そこで紹介されたのが医療用の足底挿板で、足を適切なポジションにしてくれるという『Northwest Superglass®』だという。
花谷氏「実は『Northwest Superglass®』は今まで使っていたインソール、『SUPERfeet』の原型だと教えられました。しかもフルカスタムで素材はカーボン。当然高額だったため、思わず使うことを遠慮してしまいました(笑)。それでも横澤さんと杉本さんが熱心に勧めてくれたので、使ってみることにしたのです。これは足型をとって作るのですが、ちょうどそのころ、一足ごとに石膏を作るところから、iPadで足を撮影して足型を作るSmartCast®に変わった時期でした」
はじめて『Northwest Superglass®』を靴に入れて立った瞬間、今までの立ち心地とは全く違う感覚があったと言う。
花谷氏「自分の体にとって、立った足の感覚は”あーこれこれ”という心地良さを感じたのです。僕は元々体が頑丈なうえに、ある程度いいポジションで立つことができると思っています。だから裸足や地下足袋が自分にとっては一番心地いい。ところが靴を履いてしまうと、どうしても動きが矯正されてしまうんですよね。それでも心地よさを感じられたのは『Northwest Superglass®』は矯正ではなく、本来ある足の骨のポジションに戻してくれているからだと思うんです」
低山であれば地下足袋でも登る花谷氏。しかし冬山や岩山などはそういうわけにはいかない。そうした際に履くごつい登山靴ですら心地よさを感じさせてくれるのだとか。
花谷氏「一度使ったらもう手放せないです。だから日常の靴のすべてに入れて使っています。足裏はとてもセンシティブなので、今となってはほかのものをもう受け入れられないんです」
通常5年はもつと言われている『Northwest Superglass®』だが、花谷氏の場合、重い荷物をかついでの登山のため消耗度も激しかったそう。1年もたたないうちに、摩耗してしまい作り変えたのは、後にも先にも花谷氏だけ。本国アメリカの制作者も驚いていたほど。それだけ足への負荷が大きかったことを物語っている。
4. 第二の故郷、北杜市に居を構えて
軽やかにキャリアとライフスタイルをチェンジ
時を同じくしてさらに花谷氏のキャリアチェンジ、ライフスタイルのチェンジが続く。
神戸で育ち、大学時代から長野に移り住み、2007年から北杜市に移住。市内を転々をしていたが2016年、居を構える。標高800mの森のなかに。
花谷氏「プレイヤーから、若者たちへのきっかけづくりとしてヒマラヤキャンプを始めたあたりから、登山関連のイベント以外にも、企業や学校で自分の活動や経験をお話しする仕事が増えるようになりました。ですからこの頃から現在までは、とにかく仕事に没頭した時期。山頂ではなく、麓で過ごすことが多くなりましたね」
当然のことながら時間の使い方が変わる。山に入ると一日仕事。それはそれで贅沢だけれど、それとは違う贅沢を知る。
花谷氏「家族で過ごす時間も増えましたね。時々庭先で子どもたちと焚火や登山もするようになりました。こうしてライフスタイルが少しずつ変わったことでの自分の変化は仕事の生産性が断然上がったことですね。自分の登山に多くの時間を費やしていた30代前半とは違い、家族との時間、自分のための時間をつくるようにすることで仕事の効率が上がったのだと思います。そして時々黒戸尾根を歩いて思考の整理をしながら、七丈小屋へと通勤するんです。こうしたキャリアやライフスタイルが変わったことはあくまでも結果。やりたいことがあってそれをしていたら勝手にキャリアやライフスタイルが変わってしまったという感じです」
これはキャリアやライフスタイルのチェンジを強く望む人への大きなヒントになりそうだ。どうしたら変えられるんだろう……と悩むよりも、何をしたいんだろうという悩むことが変化を生むスタートラインかもしれない。
5. 自分のアクションがほかの人に影響を与える、
こんなに楽しいことはない
プレイヤーから、ヒマラヤキャンプのオーガナイザー、講演活動、イベント参加と着々とキャリアチェンジをしていくなかで、2017年にも更なる転機が訪れる。南アルプスにあり、山梨県北杜市に表登山口がある甲斐駒ヶ岳の黒戸尾根7合目に位置する山小屋、七丈小屋の管理を任される。登山家であるがために任されたわけではない。ここにも実は花谷氏なりの戦略が潜んでいた。
花谷氏「北杜市の魅力はなんといっても便利な田舎であること。山のスケールは大きく、自然豊かなのに、不便さを感じない。しかしこの大自然を生かしきれていないことが気になっていました。でもなにかするには地元の人を含めた活動や行政の協力がいるんですよね。それができないと、自分だけが騒ぎたてて終わってしまう。そのために行政に入り込みたいという思いがあり、北杜市が指定管理している山小屋の管理を請け負ったのです」
なかなかの策略家。でも決してこれを地元のためだとか、地域創生に役立てたいということではないというのがまた花谷氏らしい。
花谷氏「この大自然に魅了されて北杜市に来る人が増えて楽しみが深まる。そのきっかけが自分のアクションだったら面白くないですか? だから人のためではないんです。自分が楽しいからやっている、いわば自己満足なんでよ」
自分のためにやっていることが、結果北杜市を訪れる人のためになっていることがあまりにスマート。そして麓にもアウトドアの拠点がほしいと、2021年から宿泊施設「アグリーブルむかわ」の管理も行う。そこを切り盛りするのが、ご両親と弟たちだ。
花谷氏「こうして北杜市と連携をとることができるようになり、市としてはどういうことを考えているのか、何ができるのかが少しずつわかってきた気がします」
さまざまな活動によって北杜市のふるさと親善大使となり、2021年からは社会教育員と総合計画審議会の委員にもなる。そして自身が運営する会社ファーストアッセントの代表としても登山文化の継承と発展という野望の達成のために尽力する。
撮影/下山展弘 取材・文/峯澤美絵
お話を伺いした方
花谷泰広(はなたにやすひろ)
1976年、兵庫県神戸市生まれ。子どもの頃に登山に目覚め、高校・大学と山岳部に所属。96年、20歳でネパール・ヒマラヤのラトナチュリ峰(7035m)を初登頂して以来、頻繁にヒマラヤなどの海外登山を実践。2012年のキャシャール峰(6770m)南ピラー初登攀、13年には登山界のアカデミー賞と言われる第21回ピオレドール賞、第8回ピオレドール・アジア賞を受賞した。15年からは若手登山家養成プロジェクト「ヒマラヤキャンプ」を開始。現在は山梨県北杜市をベースに、甲斐駒ヶ岳の七丈小屋の運営、甲斐駒ヶ岳のふもとにあるアグリーブルむかわ及び駒ケ岳スキレットの運営などを行いながら、JR小淵沢駅から八ヶ岳と南アルプス甲斐駒ヶ岳などの登山口を結ぶシェア型登山タクシー「MOUNTAIN TAXI(マウンテン・タクシー)」の実現に尽力するなど、登山文化の継承と発展のために活動している。
ご利用頂いている医療用足底挿板のファンクショナルオーソティックス®
Northwest Superglass®
(ノースウェスト スーパーグラス)
主な特徴
- Northwest Podiatric Laboratory社(以下、NWPL社)の最高峰フラッグシップモデルの、医療用足底挿板であるファンクショナルオーソティクス®です。
- 「機能的な」という意味のファンクショナルの名の通り、ひとりひとりの足の骨配列や形状を考慮して、足の適切な動きをサポートすることを目的としています。
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